Interview
#35

子どもたちの健康のために
医療だけではない可能性も模索
世界を目指す医師の挑戦

古東 麻悠さんMAYU KOTO

小児科・新生児科医

1989年生まれ。9歳までニューヨークで育ち、国際関係に関心を持ちながら高校生で医者を志す。2015年順天堂大学医学部卒業、2017年順天堂医院小児科コース初期研修終了、国立国際医療研究センター小児科勤務を経て、現在、日本赤十字社医療センター新生児科勤務。これまで、NPO法人Ubdobeでのデジリハプロジェクトの運営や、高校生を途上国に派遣してビジネスの構築をサポートするNPO法人very50でメディカルアドバイザーを担当。病院外での活動にも視野を広げている。
https://www.digireha.com/

新生児医療の現場で働く小児科・新生児科医、古東麻悠さん。病院での医療行為だけでなく、子どもたちが退院後もポジティブにくらすための方法を考え続けてきたといいます。医師として働く傍ら、デジタルの機能を活用した障がい児のリハビリプログラムを運営するNPOなどにも携わってきました。また、海外で過ごした経験から、いずれ自らの医療の技術が必要とされる地域に赴きたい、というグローバルな視座も。大きな志の背景にある想いとは。

お産の現場を支える
新生児医療

小児科の中でも新生児科の医師は、産科と連携しながらお産の現場を支えるのが仕事。現在、古東さんは平日の病院勤務に加え、必要とあれば夜も病院に泊まり、土日も患者の容体次第で対応します。

「お産そのものはハッピーな出来事ですが、私たち新生児科が出ていくのは、それが急変して、親御さんが奈落の底に突き落とされるような事態なんです。その時は、とにかく赤ちゃんを救いたいという一心でものすごい集中状態に入ります」

日本の乳幼児死亡率の低さは世界トップクラス。医療政策、設備の充実や、医師の技術が要因として挙げられるそうです。

「海外から遅れている医療の分野もありますが、新生児医療に関しては世界に誇れる分野。適切な治療が受けられず赤ちゃんが亡くなってしまう途上国に、いつかこの技術を持っていくことが自分のミッションではと思っています」

古東 麻悠さんイメージ

人の命を救うということを
考え続けた

9歳までをアメリカで過ごした古東さん。同時多発テロが起こったときにニューヨークにいたことで、世界平和を実現するための国際関係に関心を持つようになりました。

「私が4歳の時に弟が生まれたんですけど、そこが自分の記憶の始まりだと思っています。人が生きる、命が育つ、ということにずっと興味があった。それが国際協力への関心と重なった時に、単純ですがユニセフでの仕事に憧れたことも。医者になりたい、という思いが生まれたのは高校時代です」

しかし、医学部の受験を目指すようになった当時、妹が亡くなったばかりの幼馴染からある言葉を投げかけられます。
「『人はいずれ死ぬのに救う意味はあるのか』と言われたんです。咄嗟に答えられませんでした」

その答えが見つからず模索し続けますが、ふとした出会いで霧が晴れたと言います。

「病院で学校のボランティア活動をした時、そこで出産を終えられたお母さんに会いました。その方は交通事故で車椅子生活を送ることになり、『死にたくなるほど辛かった時期もあったけど、この子に出会えて、生きていてよかった』とおっしゃっていて。その時思ったんです。人はみないずれ死ぬ運命で、それがもし明日だとしても、今日生きた分、新しい出会いや楽しいと思えることがあるんだったら、十分救う価値があると。迷いがなくなりました」

古東 麻悠さんイメージ

仕事と同じだけの情熱を
病院の外に

高い志を持って医学部に入学したものの、共に学ぶ医学部生たちとの熱意のずれに打ちのめされることもあり、持て余した情熱をインドやカンボジアへのボランティアに向けました。

「完全に一匹狼になっていて、今振り返ると恥ずかしい(笑)。実際に医者になって学んだのは、当然ながら一人では何もできないということ。現場にはいろんな人がいて、いろんな意見があるのが当たり前です。でも、外を向いて生意気なことを言っていたおかげで、多くの知り合いができたので、結果的によかったのかもしれません。NPOでの活動にも繋がりました」

NPOでは、デジタルアートで障がいのある子どもにリハビリを楽しく、ポジティブなものに転換する活動などに参画。また、団体の運営方法や資金調達、社会への還元の仕方など、病院では学べないノウハウにも触れることができたそう。

「現在は新生児科での救命の仕事に集中しています。でも、救命の先の探究、というスタンスは大切にしていて、病院外での活動にも半分の熱意を向けたいと思っています。いずれは病院を飛び出して仕事をしたい、という気持ちもありますね」

古東 麻悠さんイメージ

医者であり、人生を楽しむ
一人の人間であるために

多岐にわたる関心や仕事をうまくマネジメントするため、古東さんが心がけている習慣があります。

「病院での仕事をOccupation(専門的な訓練を受けた職業)、NPOの取組みを含めそれ以外をLifeworkと位置付けています。もちろん、お互いが影響し合うこともあります」

そのため、病院にいる時にLifeworkのアイディアが浮かぶこともあるとか。

「最近、うちの病院に入院していた外国人の妊婦さんから、言葉の問題で『ちょっとしたことが聞けないし、ジョークも言えなくて入院中しんどかった』と聞いて。さっそく外務省の友人に相談したら、WHOで訪日中の傷病対応を担当していた元職員の方を紹介してくれたので、時間をもらって話を聞きました。最近は、思い浮かんだことはすぐに誰かにシェアして、解決策を探っています。こうした行動はいわばOccupationとLifeworkの中間でしょうか」

実際に自分の職場で実践するのはハードルがあるものの、アンテナを張りながらできる範囲でやれることを探しているそう。

「よりプライベートな領域では、家族で海に行くのが好きですね。私は元々スマホを手放せない人間で、しかも『病院から連絡があったらどうしよう』と東京から出ることすら怖かったんです。でも、最近は仕事の気の抜きどころもわかってきて、海に入るとスマホなんて持ちようがないから(笑)、ものすごく解放感があってホッとします」

医者、先生も、生身の人。肩書きをおろす瞬間はとても大切です。

「何よりもまず、自分が人生を楽しんでいないといけないな、と思います。だって、人生を楽しんでいない人に命を救われるのは嫌ですよね」

古東 麻悠さんイメージ

本当に必要とされる
場所を探して

古東さんは、医師になって改めて、「子どもは本当によく見ている」と気づいたそう。

「プレパレーション(手術や治療に先立ち子どもにわかりやすく説明して安心してもらう準備)などの手法も使いながら、病院での体験をネガティブなもので終わらせず、どう自尊心につなげてもらうかを考えています」

また、自分自身が母となり、患者の親の気持ちにより深く共感できるようになったそうです。

「医者に『大丈夫ですよ』と言ってもらえるだけで親はとにかく安心できるとよくわかりました。雑談もするように心がけています」
将来は、自分が身につけた技術を必要とされる場所に届けたい、という夢もあります。限りある命を少しでも豊かにするために自分の「命」を使いたい、と古東さんは教えてくれました。

「今の医療行為は、問題が起きてから対処するというもの。もちろんそれはとても大切で尊い行為ですが、その先に、何か私がやらなければならないことがある、という直感があります。今30代ですが、40代にはそれを見つけて家族でアフリカに移住しているかも(笑)。自分の技術を提供するにしても、押しつけではなく、その土地の文化や人々に触れてコミットしたいと思っています」

古東 麻悠さんイメージ
古東 麻悠さんイメージ
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