Interview
#38

いつか「MHAK」という名前の模様に
唯一無二のスタイルを世界へ
ペインターが描く未来

MHAK(マーク)さんMHAK

ペインター / アーティスト

1981年生まれ、福島県會津若松出身。高校卒業後、東京の専門学校を経て、ファッションデザイナーとして活動する傍ら絵を描き始める。ペインターに転向後は建築や内装、デザイナーズ家具に影響を受けたことから、空間と融合する絵のあり方を模索。個人邸やショップなどでさまざまな内装、外装壁画を手掛け、国内外の有名企業とのコラボレーションも多数。2022年3月には大規模な回顧展「MHAK Solo Exhibition PAST, PRESENT, AND FUTURE」がパルコミュージアムトーキョーで開催された。
http://mhak.jp/

パルコミュージアムトーキョーで開催された回顧展が大きな話題になったMHAKさん。ペインターとして、インテリア、ファッション、ストリートカルチャーなど、多くの領域に影響を受けながら独自のスタイルを築いています。「あまり僕自身は表には出たくない」と黙々と制作する姿はストイックそのものですが、各地で壁画を制作したり、有名企業とコラボしたりと、軽やかなフットワークも印象的。MHAKさんの創造とくらし、そして未来への展望を伺いました。

「會津人」という
アイデンティティ

MHAKさんのオフィシャルサイトには、「會津若松生まれ」とあります。会津ではなく古い表記で「會津」としているのには理由があるのでしょうか?

「僕が育った地域には、明治維新で最後まで幕府に忠誠を誓って戦い続けた會津藩の精神が残っていたと思います。近所のおじいちゃんやおばあちゃんの中には、明治政府に対する複雑な心情が受け継がれていて、幼い頃からそんな空気に触れてきました。今も、反骨精神を持った故郷の人たちに誇れる人間になりたい、という気持ちがあります」

アーティストよりも、まず「ペインター」「絵描き」と自称する理由には、故郷会津の職人たちの手仕事への憧れがあるからだとか。MHAKさんが描く絵の線は、まるでウェブソフトのペンツールで書かれた曲線のように緻密です。

「『本当にブラシ使ってんの?』って言われるのが最大の褒め言葉です。職人さんたちの仕事の域に行きたいと思ってます。やっぱり日本人ですし」

MHAK(マーク)さんイメージ

自分を成長させてくれた
アメリカ

幼い頃から絵を描くことが好きで、実家には親が取っておいてくれた漫画やアニメのキャラクターなどの絵が残っているとか。

「でも、学校の美術の授業はそんなに好きじゃなかったです。正しい色を使わなきゃいけない、という教えがあって、自分の使いたい色を使うと怒られる、みたいな。怒られる意味がわからなくて」

中学生になると、雑誌を通じてファッションに憧れ、スケートボードやスノーボード、サーフィンをする人々のスタイルからグラフィティ文化に出会います。デザイナーズ家具にも惹かれ、インテリアにも大きな影響を受けました。

高校卒業後、東京のファッション系専門学校に入学し、デザイナーの道へと進みます。仕事をしながら描いていた絵が知人の目にとまり、世界中の著名なアーティストたちが参加するニューヨークのグループ展にいきなり出展できることに。

「アメリカで印象に残っているのは、自分がつけたい絵の値段の10分の1にされたことです。『日本でどれだけ有名なのか知らないけど、こっちでは無名だろ』と。それが一番食らいました」

しかし、その値段設定のおかげもあったのか絵は完売。

「買ってくれた人たちは全員僕にしっかり話しかけてくれて、作品と僕に興味を持ってくれているのがわかりました。そういう人たちは、次の展示でちょっとずつ値段が上がっていても買ってくれるんです。あぁ、アーティストってこうやって成長していくんだ、って思いましたね」

MHAK(マーク)さんイメージ

いつか「MHAK」という
名前の模様に

MHAKさんといえば、曲線を重ね合わせた抽象画がシグネチャー。どのようにしてこのスタイルに行き着いたのでしょうか。

「あからさまに絵が飾ってある、みたいなノリが嫌で、じゃあ、自分が好きな家具に馴染むように描いちゃえば良いじゃん、と思ったんです。僕の世代の仲間たちはみんな『しっかりスタイルを持つのが東京のやり方』という認識でした。なんでも描ける、っていうのが一番ダメ。だから僕も頑なに同じものを描き続けて、それが徐々に認知されていった、という感じだと思います」

唯一無二の模様をさらにどう発展させるか、MHAKさんには構想があります。
「死ぬ前までに、この模様が、たとえばストライプやドットのように『MHAK』という名前で呼ばれて、世界中いろんなところで勝手に使われていて欲しい。それがゴールです」

ペインターとしての自分自身よりも、模様が普遍的になっていくことの方に喜びを覚えるそう。企業からオファーを受ける際も、「あまり僕自身は表には出たくない」と伝えます。

「僕は個人邸で内壁を描けるのが一番うれしいんです。理由は、本来やりたかった内装空間と、絵画の融合を突き詰めることができるから。今は、すでにある建築に後からペイントするやり方だけど、今後は建築家さんと一緒に仕事をして、自分の絵が入る前提で建物を作り上げられたらすごくいいなと」

MHAK(マーク)さんイメージ

東京と地方、
それぞれの魅力

全国各地に赴いて壁画を描くことも多いというMHAKさん。現在拠点としている東京は、情報がすぐ手に入り刺激的であるという魅力はありますが、どちらかというと地方に惹かれるそう。

「今でも、東京には『いさせてもらってる』感じが強いかもしれないです。でも地方には、上っ面の観光をしていると出会えない独特のコミュニティがありますよね。まず入り込むために苦労するけど、受け入れられると人情に触れられるのがいい。土地の歴史的な背景も含めて吸収できるのが楽しいです」

2014年には、Levis®グローバルプロジェクトの一環で、会津鉄道と湯野上温泉観光協会から指名があり、湯野上温泉駅の壁画を手がけました。故郷に少しは恩返しができたという感触があったそうです。

「自分が誇れる仕事の一つです。地元でアーティスト活動をされている諸先輩方もすごくリスペクトしていますし、僕は僕なりに東京も地方もそれぞれの魅力と向き合いながら、やっていこう、と今は胸張って言えるようになりました」

MHAK(マーク)さんイメージ
MHAK(マーク)さんイメージ
MHAK(マーク)さんイメージ

自分の作品が未来の
『古き良き』になったら

一日のスケジュールについて伺うと、まず「基本、起きるの遅いです(笑)」との答えが。ひとたび絵を描き始めると明け方まで制作が続くことも。

「すごい堕落した生活を送ってると思います。これでお金をもらえてるからいいですけど、そうじゃなかったらマジでただのダメ人間ですよ(笑)」

くらしと仕事が地続きになっているからこそ、「休む」ということについて最近新しい発見があったそう。

「休暇中、何も考えていない時が一番幸せだと思えるようになりました。これまでひたすら突き進んできて、プライベートがない生活を送ってきたのですが、去年くらいからしっかり休暇というものを取るようになって。スイッチを切り替えて完全にプライベートな時間を過ごせるようになってから、すごく楽しいです」

そして、3月に開催された回顧展が大きな区切りになったというMHAKさんに、これからの目標について伺いました。

「自分の集大成を見せて、気持ちに大きな区切りがつきました。これからは地方を巡回しながらの仕事にシフトできたら嬉しいです。あとは、お寺や神社など、歴史的な建造物で襖絵を描かせていただくとか、やってみたいですね。それが後の世になって『古き良き』と受け取られるような作品になったら最高だなと思います」

MHAK(マーク)さんイメージ
MHAK(マーク)さんイメージ
MHAK Everything Has A Story
通販のディノス オンラインショップ