Interview
#11

〝笹餅作り名人〟
手間暇惜しまず作るのが喜び。
母から受け継いだ笹餅を
先の時代へと伝えていきたい

桑田 ミサオさんMISAO KUWATA

青森県五所川原市
「笹餅屋」代表

1927年、青森県生まれ。保育園の用務員兼調理師として、約24年間勤務。定年後、農協の無人直売所で笹餅や赤飯を販売。その笹餅が評判となり、スーパーへの卸販売を始める。同時に、「笹餅屋」を75歳で起業。「ストーブ列車」では、歌いながら餅を売るおばあちゃんとして人気となり、メディアにも取り上げられる。農林水産大臣賞や総務大臣賞、五所川原市褒賞などを受賞。
http://www.superstore.co.jp/sasamochi

「食に関する妥協は一切しない」――桑田さんの職人としての流儀です。年間4~5万個作るという笹餅は、笹の葉を刈ることからパッキングまで、すべて一人で行います。添加物や保存料を使わずに、もちもち・ぷるぷるな食感を保つためにどうすればよいか、笹の葉をより美しい緑にするにはどうしたらよいかなど、日々、試行錯誤を重ねています。おいしいと食べてくれる人たちに感謝をしながら作るという笹餅作りや、食への思いを伺いました。

もちもち、ぷるぷる。
「ミサオおばあちゃんの笹餅」

桑田さんが作った笹餅を手に取ると、ふわっと笹の葉の香りが漂い、今まで食べたことがないほどのもちもち食感があって、ぷるぷるとしています。これは餡ともち粉を一緒に混ぜて作られる、青森伝統の笹餅だそうですが、この極上のぷるぷる感は、桑田さんが作る笹餅だからこそ、際立っているようです。

青森県津軽半島の五所川原市にある加工所で、「笹餅屋」の看板を掲げる桑田ミサオさんは、まもなく95歳。なんと年間4~5万個を一人で作っています。とても大変な作業のように思いますが、桑田さんは、そう感じてはいません。

「辛いとか、苦しいなんて、そういうことば思ったことは一度もねえっけど。ただただ感謝の気持ちで30年以上、毎日楽しく作っています。笹餅を食べた、たくさんの方々からお礼状をいただき、それが励みになっています。中には、お電話をいただいたり、直接来られる方もいるんですよ」

桑田さんの笹餅は、近くのスーパーで火・土曜に販売されていて、午前中には完売になるほど大人気。他にも町のイベントやお祭り、老人ホームからの注文も相次いでいるそうです。そんな桑田さんは、日々、どんな過ごし方をしているのでしょうか。

「朝は6時頃から仕込みに入ってっけども、目が覚めるのは3時半頃で。昔のことをいろいろと思い出しながら、布団の中でゆっくり過ごします。5時になったら起きて、支度をして加工所に行って。忙しい時は、4時には加工所に来て作業を始めることもあります。スーパーに卸す前日の月・金曜は、特に忙しいんだけども。まずは仕込みをして、7時半くらいから餅を蒸し始めます。蒸し上がりまでだいたい1時間くらいかかって、それを2回やると午後1時くらいになりますね。蒸している間に、袋に日付を入れたりして準備を進めます。それまでずっと立ちっぱなしの作業です。そんで、お昼を作って食べたら少し休んで、また作業を始めて、蒸した餅を笹の葉に詰めて、もう一度軽く蒸します」

桑田 ミサオさんイメージ

地元の小豆、米、湧き水、
惜しみない手間から生まれる
最高の笹餅

この2度蒸しこそ、桑田さんの笹餅の真骨頂。餅だけをあらかじめよく蒸して、次は笹の葉に包んでから殺菌も兼ねて1分少々蒸すことで、鮮やかな緑の笹の色が保てるということを、長年の経験の中で編み出しました。ほかにも、おいしい笹餅作りのために工夫していることは、たくさんあります。

「地元の小豆と米、湧き水を使っていますが、米は細かくするために、一番小さな目盛で2度挽きします。ここの小豆は赤みが強く、扱いやすいのが特長で、湧き水を使って手間暇かけて煮込みます。笹の葉は、夏の間に山へ1年分を刈りに行って、採った笹はハサミで形を整え、冷凍にして保存しておきます」
桑田さんのおいしい笹餅は、労を惜しまず、おいしいものをみんなに食べてもらいたいという気持ちが、一つひとつにこもった愛情の結晶です。

その桑田さんの笹餅が全国に名を馳せるようになったのは、ある出来事がきっかけになりました。
「私が80歳の頃でしたかね、津軽鉄道が冬の間、観光のために『ストーブ列車』を走らせることになって、私たち農協の婦人部でも何か手伝えないかと、お餅や漬物などを車内販売したんです。ある時、車内で津軽民謡を披露する機会があって、そしたらそれが評判になったと聞きました。〝歌いながら餅を売るおばあちゃん〟だそうです(笑)。わからねっけども、笹餅は買ってもらった人たちから、もう一度食べたいと問い合わせがたくさんあったそうです」
このストーブ列車からメディアに取り上げられることが増え、地元で愛されていた「ミサオおばあちゃんの笹餅」は広く知られるように。そして2011年には、農村漁村女性のシニア起業・地域活性化部門で「農林水産大臣賞」を受賞。桑田さんが84歳の時でした。

桑田 ミサオさんイメージ
桑田 ミサオさんイメージ
桑田 ミサオさんイメージ

母から学んだ裁縫と料理
その経験が笹餅作りに生きる

小さな頃は体が弱く、学校も休みがちだったという桑田さん。しかし母と過ごす時間ができたことで、たくさんのことを教えてもらえたのだと振り返ります。
「子どもの頃はとても病弱で、すぐにお腹が痛くなったり、体調を崩して学校を休むと母も仕事を休んで付き添ってくれました。そのときに、私の横で母が縫い物をしたりするのを見て、見よう見まねで裁縫を覚えたべ。あるとき、学校で裁縫の提出物があったんだけんど、私が提出した裁縫がとてもよくできていたんで、『お母さんに作ってもらったのだろう』と、あらぬ疑いをかけられたこともあったさ。裁縫や手仕事はなんでも得意で、お餅作りは6歳の時に習ったんです」

母からの教えもあり、様々なことを器用にこなす桑田さんは、30代で保育園の用務員として就職。すぐに調理の腕も見込まれ調理場の手伝いもしていました。定年後、農協が運営する無人販売所を手伝ってほしいと声をかけられ、お餅や赤飯を販売していたそうです。

「ある時、老人ホームを訪問する行事があり、粟餅を作って持って行ったら、それを食べた人が涙を流して『おいしい』と言ってくれたんさ。それを見て、一生お餅作りさ続けようと心に決めました」

直売所でお餅の販売を続けていたところ評判が広がり、近くのスーパーからも卸してほしいという申し出があったそうです。でも、そのためには会社としての登記や保健所の検査も必要となり、起業することに。

75歳で、まさか起業をするなんて、思ってもみなかったです。それからずっとスーパーには卸しています」

桑田 ミサオさんイメージ

野菜は余すことなく利用し、
添加物は一切使わない
桑田さんの料理哲学

今の健康な自分があるのはご先祖や亡くなった母、夫などが見守ってくれているからという気持ちが強く、桑田さんは日々の供養を欠かしません。
「昨年夏に息子のお嫁さんが亡くなったので、夫とお嫁さんの月命日には陰膳(かげぜん)を作って供養します。全部野菜で料理しますが、その時期にあった旬のものを使うようにしてさ。みょうがを花のように見立てたり、さつまいもを細切りにして青じそで巻いて揚げたり、りんごと菊で和えたり…。頭の中で、こんなふうにしたらキレイに見えそうだな、この野菜はお花のようにしてみようとか考えることも楽しいです」
ほほえみながら、そう教えてくれた桑田さん。陰膳だけでなく、日々の暮らしの中で食べ物をとても大切にしています。今でも健康に暮らし、お餅作りを続けている秘訣が、こんなところにもありそうです。

食べるものには一切添加物等を使わず、手作りを心がけているとのこと。冷蔵庫の中には、いつでも様々な食材や食品がぎっしり詰まっています。
「これはみょうが。春の大根やふきなんかもあります。こっちがお煮しめで、たけのこ、こんにゃく、しいたけ、ブロッコリー、豆腐、梅干。季節に採れたものを調理したり冷凍にして、1年かけて食べんだ。野菜は捨てるところがないさ。全部保存食にしたり、だしをとったり、大切にします」
いつでも食への感謝を忘れない、そんな考えから、お餅作りも一つひとつ丁寧に、心を込めて作っているのでしょう。

桑田 ミサオさんイメージ

もうすぐ95歳。
青森の伝統の笹餅を、
後世へと引き継いでいきたい

そんな桑田さんが、今望んでいるのは、笹餅作りの後継者を見つけること。
「あと少しで、私は95歳になります。昨年はちょっと入院したりもしたので、この仕事の後継者になってくれる人がいないかと思っています。この笹餅は青森の伝統的なお菓子ですが、母の工夫もいっぱい詰まっていて、その味を継承していくことが私の役割とも思っています。後継者でなくても、独立してやりたいという方でも、味を継いでくれるという方がいたら、惜しまず、すべてお教えします。お手伝いをして覚えてもらって、そうして、次の世代へとこの笹餅を残さねばと思ってます」
かつて、母から教わった餅作りの基礎。それに桑田さんならではの工夫を重ねて、今の味に育ててきた大切な笹餅。その味を後世にも伝えていきたい。そんな桑田さんが話す一言一句には、笹餅に込めた愛情や思いがあふれていました。

桑田 ミサオさんイメージ