Interview
#18

〝鍛治職人・四代目 刀匠 「宗秋」〟
道具がないとものづくりは始まらない
日本の文化を守り続けるために
伝統の技術で応えていきたい

八重樫 潤一さんJUNICHI YAEGASHI

鍛治職人・四代目 刀匠 「宗秋」

1952年、葛飾区立石で生まれ育つ。鍛治職人。葛飾区認定の伝統工芸士。工業高等専門学校を卒業後、家業である八重樫打刃物製作所で職人の道へ。2007年に四代目刀匠「宗秋」を襲名。今では少なくなった「江戸打刃物」の流れを組み、「総火造り」という日本の昔ながらの鍛治技術を現代に伝える。家庭用の和・洋包丁等の製造だけでなく、職人が使う専門性の高い道具の数々や、世界遺産の寺社仏閣の和釘鍛造までと、その確かな技術に全国からの依頼が絶えない。
https://muneaki.net/

鉄を叩く澄んだ音が響き渡る工房。江戸末期に岩手で鍛冶技術を習得した先祖から数え、現在四代目として、東京・葛飾で刀匠「宗秋(むねあき)」の家業を受け継ぐのが八重樫潤一さんです。日常使いの包丁から、プロが使う様々な道具までを幅広く手がけています。力強く大槌を振り下ろす体力仕事であると同時に、0.5mm単位の調整を求められる緻密な世界でもあるのが鍛冶屋。日本のくらしのあらゆる場面に息づく「刃物」を守り続ける仕事の裏側を覗きました。

くらしを50年支える
名品を産む

八重樫打刃物製作所の看板の下には、「包丁、ハサミの研ぎ直し承ります」の文字が。毎日、近隣の方が「研ぎ」の依頼で訪れるそうです。

「他だと、『ここで作った包丁しか研ぎません』っていうところもあるみたいですけど、うちはそんなことないです。包丁は毎日使うものですから、困っちゃうでしょ」

と、明るく教えてくれた八重樫さん。江戸打刃物の伝統工芸士として、その技法を守り続けています。良質な鋼として知られる、島根県の砂鉄を原料とする安来鋼のみを使用し、一丁ずつ火造りを行い、大槌を振り下ろして成形。「宗秋」の刻印が入った包丁は、手入れをすれば50年は鋭い切れ味を維持し続ける名品です。

「たまに、自分の親の代から使っているという包丁を研ぎにいらっしゃる方もいますよ」

昔、八重樫打刃物製作所は包丁と彫刻の鑿(のみ)を専業としていましたが、依頼があればできるだけ応える、というスタンスで製造の幅を広げてきました。中には初めて作るものもありますが、八重樫さん曰く、「基本ができればあとは応用」とのこと。現在では大工道具、先端産業の工場で使われるバイト(切削工具)、理容師の剃刀、そば包丁など多くの刃物を手がけています。

八重樫 潤一さんイメージ

日本全国の職人が
〝頼る〟職人

「良い物を作るっていうのは、一生物を作るということですから。50年使えるものを購入いただくと、言ってしまえば仕事がなくなっちゃうわけですよ(笑)。だから、専業という形は取らないでやっています」

現在、プロの職人からの依頼が日本全国から寄せられており、こうした本職用の刃物製作が全体の半分以上を占めるといいます。

例えば、最近手がけた中で難しかったのが、漆の木に傷をつけて樹液を採取するための道具、漆鉋(うるしがんな)です。もともと別の鍛冶屋さんが作っていたものの、高齢で仕事が難しくなり、つてを辿って八重樫さんにお話が来たそう。このように、職人の高齢化などで継承が途絶えそうになってしまう現状もあります。

「専門的な道具が必要な人が困ってうちを頼ってくる、ということが増えている気がしますね。昔は『どこそこの◯◯さんに聞いた』と口コミでいらっしゃる場合もありましたが、今はネットで、皆さん『鍛冶屋』で必死に調べるみたいです」

包丁なら包丁だけ、鑿なら鑿だけ、と、専業であることが基本の鍛冶屋で、八重樫さんの製作所ではこれまで多くの依頼に応え続けてきました。

八重樫 潤一さんイメージ
八重樫 潤一さんイメージ
八重樫 潤一さんイメージ

仕事と趣味が混ざり合い、
くらしの楽しみに

「宗秋」の歴史は江戸時代後期にまで遡ります。初代「宗秋」が南部藩(現在の岩手県)で刀匠に師事し、日本古来の鍛冶技術を習得。大正になってから東京の本所に移り住み、関東大震災を経て、昭和3年から立石にある現在の製作所が始まりました。

八重樫さんは、生まれも育ちもここ葛飾区立石。「呑んべ横丁」で有名な東京の下町です。幼い頃から三代目である父が製作所で槌を振るうのを見て育ち、中学生時代にはすでに学校から帰ると仕事を手伝っていました。跡を継ぐのは当然のことと思っていたそうです。

「祖父や父は、いわゆる昔気質の職人という雰囲気でしたね。5時まできっちり仕事をやって、お店に品物を納めにいくと、帰りには浅草や馴染みの店で飲んで、ほろ酔い気分で帰ってくるという感じ(笑)」

仕事一筋だった祖父や父とは違って、「僕には趣味がありますから」と見せてくれたのが、数々の木工品。八重樫さんは若い頃から、富士山や北アルプスなど日本各地の名山を踏破してきた登山愛好家で、その折りに各地のクラフトショップで見つけた木工品に魅了され、コレクションするように。「この緻密な細工がすごいんですよ」と、魅力を感じる点はやっぱり職人目線です。

「趣味が充実しているから仕事も頑張れるし、うちは新しい依頼にも挑戦しなければならない職場なので、大変だけれど楽しいです。それら全てが混ざり合ってくらしの楽しみになっている、そんな感じですね」

八重樫 潤一さんイメージ

行政と連携して
弟子を募集

鍛治職人は体力勝負です。重い槌を熱した鉄に何度も打ち付けることで、硬くて丈夫な刃物に仕上げていきます。「日々精進ですよ」と八重樫さん。鍛冶屋がどんどん減っていく中、技術の継承についても意識を巡らしています。

「数年前に頚椎を痛めてしまって、手術をしたことがきっかけでした。それまではあんまり先のこと考えてなかったんですよ。でも、仕事ができる時期はもう限られているから、技術を受け継いでいかないと、と思って」

職人の多い葛飾区には、その伝統を守るため「葛飾区伝統工芸士」の認定制度があり、伝統工芸職人の弟子入り支援事業も行なっています。

「役所の人とは前からやりとりしていたのですが、手術が終わってからすぐ次の年に相談しました。支援事業を利用してネットで全国から弟子を募集です(笑)」

そうして2人が弟子入りすることになり、現在、仕事は八重樫さんと叔父の忠夫さんから伝統の技を学んでいます。

八重樫 潤一さんイメージ
八重樫 潤一さんイメージ

技を守り継ぐことで、
日本の文化を守る

以前、「宗秋」の刃物を使った宮大工の方が、「硬い欅の木が艶が出るように綺麗に削れる」と感動して、購入したお店を通じてわざわざ八重樫さんのところに写真を送ってきたそう。

こうした手元の技に叡智を結集する職人たちの注文は細かく、0.5mm単位で指示が入ります。中には道具の図面が無く、送られてきた見本を見ながら再現する場合も。それでも、「見本通りに作ればだいたい大丈夫」というからやはりプロフェッショナルです。

八重樫さんのお話を伺っていると、どんな職人でも道具があって初めて仕事ができるのだという、当たり前のことに気付かされます。そして江戸打刃物の製造法を守り続ける意義は、それそのものに伝統的な価値があるから、という理由だけに留まりません。この工房は、宮大工の道具だけでなく、成田山新勝寺不動明王や大阪四天王寺丈六仏の鑿や、日光輪王寺の和釘の鍛造等の依頼も受けています。つまり、道具の先にある日本の文化を、根幹から支え、守るという重要な役割も担っているのです。

「未来への展望、なんて、そんな大それたことではないですよ。でも、やっぱり技術と文化は大事にしたい。いろんな方から注文をいただくので、それにはずっと応え続けていきたいですね」

八重樫 潤一さんイメージ