Interview
#08

〝川越の町おこし仕掛け人〟
人と人との繋がりで
進化し続ける町の伝統を
未来に受け継いでいきたい

原 知之さんTOMOYUKI HARA

川越町並み委員会 委員長
陶舗やまわ(有限会社ヤマワ商店) 代表取締役

1956年、埼玉県川越市生まれ。大学卒業後、ガラスメーカーに入社し千葉県で勤務をするも、「陶舗やまわ」を継ぐために川越に戻る。2001年、川越蔵の会4代目会長に就任。翌年川越蔵の会をNPO法人化。同会長を18年務めたのち、相談役に。2017年、川越町並み委員会委員長に就任。川越市や地域住民と協働し、今ある景観を守って生かし、地域の特性に応じた建築行為等の申請者への助言等を行う。
https://www.touho-yamawa.co.jp

一面黒く塗られた蔵造りの建物群で知られる川越。江戸時代より商業で栄え、江戸からの物資の集散地として発展したことから「小江戸」の名前でも親しまれています。そんな風情ある町並みを守るのが、川越生まれ、川越育ちの原知之さん。景観保全、地域活性のためのNPOで代表を務め、「陶舗やまわ」の店主でもあります。「陶舗やまわ」は川越に店を構えて101年。2022年に市政100周年を迎える川越市とほぼ同じ歴史を歩んできたお店の当代が、伝統の中で営むくらしの魅力を教えてくれました。

ジョギングは
お寺を巡りながら

文化財が立ち並ぶ町での生活とは、どんなものなのでしょうか? 蔵造りの建物で有名な川越一番街にある「陶舗やまわ」は、一部が文化財に指定されています。2階には昔、ぴっちりと隙間なく閉めて商店を火事から守っていたという観音開きの窓が並ぶ荘厳な佇まい。昔は一番表を商売に使い、奥に居住蔵、倉庫蔵と連なる造りだったそう。現在、居住蔵と倉庫蔵はカフェや陶芸教室として再生活用されています。

「今、毎日の行動は半径500メートルくらいですよ」と原さんは笑います。足繁く通う商店街や蔵の会の事務所も、近隣の仲間たちとお酒を飲む場所も自宅から程近い場所にあるとか。週に2日か3日は、近所を8キロほどの距離をかけてジョギングをしているそうですが、その間にお寺を5ヶ所通ると言います。

「僕が子どもの頃は、近所のお寺でよくサッカーや野球をして遊びました。長喜院とか……今考えたら、お寺さんもよく遊ばせてくれましたよね(笑)。あとは、この家の屋根に登って、忍者のように走り回っていました。近所の友達の家を屋根伝いに訪ねたりなんかして。当時は高い建物がなかったので、遠くまで見渡すことができたんです。当時はまだ倉庫蔵もかなり残っていて、家並みに光る瓦のうねりがすごく綺麗で。いつもぼうっと見ていましたね」

原 知之さんイメージ
原 知之さんイメージ

伝統を守りながら
新しい風を

そんな、文化財とともに暮らしてきた川越市民ならではの原風景をもつ原さん。蔵の会では伝統的建造物の保存活動や、地域活性のためのイベントなどを開催してきました。川越町並み委員会では、文化財の専門家や、建築士、川越市の都市景観課、川越商工会議所の人々も交えながら、歴史的な景観を守るため新しい建築物への助言等を行なっています。

「蔵の会では空き家の利活用もしています。弁天横丁は昔、置屋さんが並ぶ芸者横丁だったんですが、そこの朽ちてしまった長屋を蔵の会で借りてリノベーションしました。テキスタイルの作家さんや、ギャラリー兼飲食店さん、継ぎ竿を製作される伝統工芸士の方など、いろんな事業者さんに入っていただいて盛り上がっています」

このように、伝統を守るということも大切でありながら、並行して町に新しい風を入れる活動にも力を入れているのが川越流。

文化財に指定されているような蔵などは、当然法的に守られていますが、そこまでは行かないまでも古い建物はたくさんあります。古い建物は「今」わたしたちがくらす現在の生活に取り入れて、賑わいを生んでいくことが一番大切だと、原さんは語ります。

原 知之さんイメージ
原 知之さんイメージ

聞く耳を持つことの
大切さ

「古い町であるとはいえ、川越は決して閉鎖的ではないところが魅力だと思います。新しく飛び込んできてくれる人には、住民も商店街もウェルカムですよ」

まちづくりに関する様々な要職を歴任してきた原さんですが、新しい世代にどんどん代替わりをしていくことの必要性をかねてより感じています。

「とはいえ、もともと、『蔵の会』なんかは役員の人たちがけっこう若いんですよね。私も40代くらいの時に会長になりました」
会長になってからも、同じ蔵の会の仲間たち、商店街や自治会の人たちに育ててもらったという意識が強いそう。当時、原さんが背中を見てきた川越の先輩たちからは、「聞く耳」を持つことの大切さを教わったといいます。

「この町の年配の方々は、本当に柔軟だったと思います。コンサルタントなど外部の方をお呼びして、まちづくりに関して話していただくこともあるわけですが、そうした専門家の皆さんのお話をきちんと聞いて、何が我々の町に合っているのか、ということをずっと考えてきたんですね」

原 知之さんイメージ

住民たちの声で
生まれた街路灯

住民たちが「聞く耳」を持ち、町づくりと真剣に向き合ってきた川越。それを象徴するようなエピソードが、1992年に実現した無電柱化、そして、2006年に新しい街路灯を設置した時のものです。

電柱を地下埋設したいという希望は昔から出ていたそうですが、当時の商店街理事長が東京電力に相談すると「10億円」という途方もない予算を提示されたとか。そこで市役所に勤める知人に相談したところ、川越には市内でも一番古い水道管、下水管が通っていたため、その修繕のタイミングと合わせて電線を埋める、というやり方ならコストを削減できると提案されたとか。民官の垣根を越えたコミュニケーションが生んだ発想です。

そして、新しい街路灯が設置されたのは、ちょうど原さんが「一番街商店街」の理事長を務めていた時のことです。通常だと、業者が指定するカタログの中から多数決で決めるか、あるいはトップの鶴の一声で決まりそうなところ。しかし、「一番街商店街」は「街路灯委員会」を作り、蔵の会とも相談して、1年かけて川越の町に最も合うものを協議したとか。

結果、完成したのが現在の街路灯。景観を阻害しないよう屋根にかからない高さで、シンプルなデザインになりました。また、沿道の建物を向く面だけ透過率を高くして、魅力的にライトアップする機能も持たせたといいます。

原 知之さんイメージ

「楽しい」という
気持ちが一番

「この一番街って、直線ではなくて、ちょっと曲線なんですね。すると、連なっていく街路灯が本当に綺麗に見えるんですよ。今でも夜にこの景色を見ると感慨深くなるんです。電柱が地下に入った時にも『こんなに空って広かったんだ』と感動しましたが、それ以来でしたね」

まさに、人々ともに成長し続ける川越の街。一番街を起点に広がる地区は重要伝統的建造物群保存地区に指定されていますが、新しい建物が混在する川越のような町が指定されるのは、全国でも珍しいケースなのだとか。原さんのお話を聞いていると、まさに温故知新がくらしの中で繰り返されていることを実感します。

「町をより良くしていくためにいろんな立場の方が集まって、刺激し合って、一所けんめい考えるんですよね。そりゃあもう、シンプルに楽しいですよ。行政の方、商店主の方、大学の先生、皆さんから学びがあります。仲間たちとああでもない、こうでもないと話して、人と人との間で新しいものが生まれるときが、一番わくわく、ドキドキしますね」

原 知之さんイメージ